【コラム】 精神科作業療法の未来 第4回

コラム:精神科作業療法の未来 《第4回:2015年4月23日掲載》

コラム執筆者:水野健氏・近景 先日,スーパーバイザーをした方の結婚式に招待して頂き,出席してきました.彼女は精神科作業療法に興味を持ち,就職した数少ないうちの一人です.スーパーバイザーとしては,自分の勤めている領域に興味を持ってもらえることは,とてもうれしいことだと思います.
 私は臨床で50人近くの学生を指導してきましたが,就職先に精神科を選択したのは3,4人だけでした.学生自身の興味もありますし,現在,精神保健領域で活躍する作業療法士は全体の約15%(2012年作業療法士協会会員調査)と言われていますので,割合としては妥当なところかもしれませんが,正直さみしい気持ちもあります.

 現在は,大学で学生の就職活動の支援も行っています.そこで,「どの領域に進もうか」と悩んでいる学生は多くいます.進路の決め手は,やはり実習のようです.経験の少ない学生は見たものが全てとなり,理解出来た(又は理解出来た気分になった)上手く出来たという感覚がないと自分には向いていないという思考となるようです.
 そこで,よく聞くのは「精神科は,介入として何をやっているのか分からなかった」というものです.学生のこの言葉の裏には,自分自身も含めスーパーバイザーが臨床をきちんと伝えられていないのではないかということを感じてしまいます.

 スーパーバイザーの皆さん,自分の臨床を学生へ伝えることができていますか

 「なぜ,そこに立ち,その言葉をかけたのか.そのプログラムを導入したのか」説明できますか.
 作業療法は「技を見て盗め」というような職人技ではないはずです.Williamsonは「専門職と技術職を分けるのは意思決定のために理論を使うか否かである」(Williamson GG:A heritage of activity.Development of theory,AJOT36:716-722.)と述べています.つまり理論のない学問はなく,理論を持たない実践は専門職とは呼ばないということです.そして,理論を使うことは他者へ自分たちの作業療法を伝える時にも助けてくれるはずです.
 理論というと小難しい印象もあり敬遠する方もいるとは思いますが,全てオリジナルという方は,いないはずです.単に理論を意識していないだけなのではないでしょうか.

 改めて自分の作業療法の拠り所となる理論をもう一度,確認してみましょう

 「実践なき理論は空虚である.理論なき実践は無謀である.」という言葉もあります.
 車が前に進んでいくためには,両輪が同じようにまわって行かなければ進んでいきません.
 理論と実践を車の両輪のようにバランス良く動かして,未来へと突き進んでいきましょう

 


 
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